またチャンスがあれば、提供したい。

骨髄提供体験談1

平野 剛さん
平野 剛さん
(29歳/広島市)
またチャンスがあれば、提供したい。


 「別の意味で、生涯忘れられない門出となりました」。
 広島市内の公立高校で国語を教える平野さんは、教員人生の出発点となる新任校の入学式を欠席した。その時、骨髄バンクを通じ、血液の病気で苦しむ見知らぬ患者さんに骨髄液を提供するため、入院していたからだ。
 平野さんは大学時代から、広島学生赤十字奉仕団というボランティア団体に所属しており、その関係もあって、骨髄バンクにはいち早く登録した。
 骨髄移植を待つ患者さんに骨髄液を提供するには、HLAと呼ばれる白血球の型がぴたり一致することが必要。そのために、提供希望者のHLAをあらかじめ調べ登録しておくのが、骨髄バンクである。平野さんは登録の際に1次検査として、数か月後に2次検査としてそれぞれ血液を採取され、あとは適合する患者を待つばかりになっていた。
 平野さんは教員を目指すかたわら、広島アジア競技大会で実施された「カバディ」という南アジアのスポーツの普及に力を入れていた。大会が終わってほっとしていたころ、骨髄バンクのコーディネーターから、「次の3次検査の日取りを決めたい」という手紙が届いた。HLAが適合する可能性のある患者さんが、具体的に浮上してきたのだ。
 検査の結果、骨髄液の提供が本決まりとなり、最終的な同意もした。「こんな自分でも、役に立てる」とうれしさが募る一方、困ったことが出てきた。
 念願かなって高校教員の採用試験に合格したばかり。骨髄液採取の際に必要となる4日間程度の入院期間と、初の勤め先となる高校への赴任時期が重なるからだ。しかし、教育委員会や校長先生も快く了解してくれた。
 そして骨髄液採取の日。腰からの採取のため全身麻酔を受けた。「全身麻酔は怖い、というイメージがありますが、それ自体への不安はなかった」。その日の夕方にはすっかり目が覚め、健康にはその後、何の影響もなかった。新しい教え子たちには、その日のことについて「自分の元気をあげる手術をした」と説明した。
 平野さんは、「大きなことをしたというよりも、これまで続けてきた献血の延長線上という意識の方が強い」と言う。そして、再びチャンスがあれば、喜んで骨髄液を提供するつもりだという。

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