今までで一番人の役に立てたと感じた。

骨髄提供体験談11

野田 徳子さん
(37歳/広島市)
今までで一番人の役に立てたと感じた。


 野田さんが骨髄移植について知ったのは、15年ほど前。まだ日本に骨髄バンクがなかったころだ。社会人になったばかりの野田さんのもとに、高校の同窓会から手紙が届いた。「卒業生が骨髄移植のドナーを探している。検査に協力してほしい」という。
 野田さんは検査したものの適合せず、それ以上協力することはできなかった。しかし、その男性にドナーが見つかり、回復したことは、数年後、新聞報道で知った。「同窓会からはあれきり連絡もなく気になってたんです。顔も知らない後輩ですが、ほっとしました」。
 こんな体験から、骨髄バンクの登録受け付けが始まると、すぐに当時住んでいた静岡県で登録。そして広島に転勤したとたん、骨髄バンクのコーディネーターから「HLAが適合する患者が見つかった」という連絡をもらった。
 提供のために仕事を休んで4日間入院。手術後は38度まで熱が上がり、出勤した初日は頭がぼーっとしてワープロが打てなかった。それでも、「具合の悪さは風邪をひいたくらいのレベル。痛みも、お産に比べれば屁(へ)とも思わない」と笑う。
 両親とともにクリスチャンの野田さん。提供先の男性からお礼の手紙をもらったときは「今まで生きてきた中で、一番人の役に立てたなと感じた」。
 機会があれば、また提供するつもりだ。「人の命を助けることができるんだから…。バンクに登録していると聞いた時に『偉いですねー』と言うだけで終わってしまう人が多いのは残念です」。

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